叔母さんとの再会はほろ苦かった

この日は朝から日本人ランナー達と18マイルのロングラン。足裏は痛いし、先週の疲れは残っているしで最後の方は走る気力が無くなりヘロヘロ。一人だったら絶対途中で止めていたが、一緒にOさんが走ってくれたのでなんとか帰ってこれた。
  
午後からは息子のマーチングバンドがDublinにある高校にコンペティションで行くため運転手。前回に続き女の子ばかり5人も乗せて行った。午後3時半過ぎにはドロップオフして、その後この近くに住んでいる叔母さんに会いに行く。ここ数年あまり連絡もしていなかったし、向こうからも連絡が途絶えていた。数日前に電話したら元気な様子で、「ああ、じゃあ遊びにおいで。」と言っていた。今年で85歳の叔母さんはオフクロの姉に当たる。オフクロは耳が遠くなって電話の会話などはほとんど聞き取れないようだが、叔母さんは全く問題がなかった。一緒にレストランに食事に行く時も「そこを右に曲がって。」などと的確な指示を出していた。
  
先日日系人の勉強会に行ったので、かなり前に亡くなった叔父さんのことをいろいろと聞いた。日系2世で、いわゆる帰米日系人アメリカに生まれ、第2次世界大戦が始まる前に日本に勉強しに行くためにパスポートを申請したが、日本との関係が悪化していたため断られたそうだ。その後米軍に入隊したが、戦争の開始とともに即座にオレゴンの収容所に送られた。後に日本人部隊が活躍して軍に戻ってくれないか、と頼まれたらしいが、「一度追い出しておいて戻って来いとは失礼な。」と断ったそうだ。戦争が終わった後に日本に渡り、勉強をして伯母と結婚してアメリカに戻ってきた(帰米)。そんな事を叔母さんはスラスラとわかりやすく説明してくれた。
  
ところが、ある話題になると同じ質問を何度も繰り返していた。「奥さんは仕事してるの?」と聞くので「今はしてないですけど、息子が大学に行ったら何かするんじゃないですかね。」「おお、そうだね、ボランティアでもいいしね。」といった会話が10分おきくらいに交わされた。息子のマーチングバンドのショー何時に始まるのか?とも5−6回聞かれた。9割くらいの会話は85歳とは思えないくらいしっかりしているが、話題によって忘れてしまうようだ。「今日は息子のショーは見なくてもいいんですよ。」と何度も言ったが、「そろそろショーが始まる時間だから行った方がいいんじゃないの?」と何度か言われ、仕方なく予定よりかなり早く引き上げることにした。
  
連絡して来なくなったのもこのせいだろうか。久しぶりに会う甥っ子と話していると頭が混乱している様子も見受けられた。叔母さんの次女の息子が、近所の大学に入ったので叔母さんの家に平日だけホームステイしているらしい。最初はアパート代を浮かすためかと思ったが、娘さんとしても誰かが一緒に住んでくれていた方が少し安心なのでは。久しぶりに会えたのは嬉しかったが、自分の親の事も含めて少し考えさせられるハロウィーンナイトだった。