熊本地震から1ヶ月 ー 益城町から

誰も知らなかった私の出身地。熊本県上益城郡益城町。「ましき」と呼ぶのだが、熊本出身の人でも良く分かっておらず、「どこにあるの?」と聞かれて説明するときは「熊本空港の近くです。」と言っていた。それがこの1ヶ月で日本中で知らない人はいなくなったのでは。世界的にもCNNのニュースなどで取り上げられていた。震度7地震に2回も襲われた町としてすっかり有名になってしまった。両親は今でも益城町に住んでいて、上の姉は隣町に、もう一人の姉は市内のマンションに住んでいる。地震直後にでも故郷に帰りたかったのだが、両親、姉たちとも避難生活、あるいは車中泊が続いていた。ライフラインも止まり、姉に「今帰ってきても一緒に避難生活するだけだよ。」と言われある程度落ち着くまで待っていた。そして3週間経って、ゴールデンウィーク明けに熊本入り。家の片付け、修理を手伝うつもりで来た。
  
近所のビニールハウスでの避難生活に耐え切れず、両親はまだ強い余震が連続している頃に家に戻っていた。出口に近い物置で寝たりしていたらしい。現在では水、電気、下水も復活し寝室で寝ていると聞いたので家の被害は最小限かと思っていた。しかし、家に入ってすぐ柱が同じ方向に傾いているのが目で見てわかる。壁のあちこちにもヒビが入り、屋根瓦は大量に剥がれている。



  
その上1ヶ月経った今でも震度3程度の余震が毎日発生している。気象庁は今後1ヶ月程度は震度6の余震に注意と呼びかけている。正直、この状態の家に寝泊りするのは怖い。もう一度大きな揺れが来たら潰れてしまうのでは、との不安がよぎる。80歳を超えた両親がとっさに素早く逃げ切れるのだろうか、などと考えてしまう。実際にお隣の叔父夫婦は未だに余震を恐れてビニールハウスに寝泊りしている。
  
そんな不安を親父に伝えても、「もう死ぬときゃぁ、死ぬんだから。俺たちは先も長くないし。。。」というばかり。避難生活で腰を痛めたのがかなり辛かったらしく、家を出ようとはしない。ならばさっさと家を解体して立て直しを始めたいのだが、益城町の被害状況の調査は当然ながら被害が大きかった地域から順番。実家の近所は12地区中9番目。未だに検査にも来ていない。検査で、全壊、半壊、大規模半壊、居住に安全などの判断をしてもらい、それを持って「り災証明」というものがもらえる。このり災証明無しでは支援金も受けられないし、何も行動を起こせないのだ。姉たちの家も建屋はしっかりしているものも、地滑りが起きているためインフラが復旧せず、未だに体育館で寝泊り。仮設住宅も無く、避難生活を抜け出せるめどが立っていない。
  
対応の遅い行政に少し腹立たしい思いもしたが、昨日益城町内をジョギングして愕然とした。テレビでは何度も見ていたが、実際に子どもの頃何度も通った場所の変わり果てた姿には胸が締め付けられる思い。瓦礫の山にも未だ手を付けられていないようで、住む場所がある両親はある意味幸せなのかもしれないと思う。





  
一体、この町が、そして家族たちが普通の生活に戻れるのはいつなんだろうか。仮に今すぐ家の解体、立て直しを始めても新しい家が完成するのは早くて年末。そして立て直し期間中は梅雨、真夏、台風の季節、そして寒い冬。どこで過ごすのだろうか。仮設住宅の数はおそらく圧倒的に不足するだろうし、近所の人と密に繋がっている両親がこの地を一時的にでも離れるのはかなりの精神的な負担だ。もちろん、金銭的な心配もある。土地があっても家を建て直すと1,500万円程度は必要だろう。支援金が2−300万円、保険から少し出たとしても大きな金額。「自分たちはもう長く生きないから、小さな家でいい。」と言う親父。ダメージが無かった車庫兼小屋を住まいにすることも考えているようだ。しきりに「お前が帰ってくるなら大きな家建ててもいいが。。。」と聞く親父。それに対して答えを濁してしまう自分。。。「帰ってくるつもりはない。」と以前伝えたはずだが、地震で弱気になっているのだろう。
  
5日間ほど帰ってきて、結局大したことは出来なかった。家は傾いたままだし、ひび割れもそのまま。義兄と雨漏りを防ぐために割れている瓦を何枚か交換したり、閉まらなくなったサッシの修理、夜中にトイレに起きてよろめき転んでしまったオフクロのために手すりを付けたり、地震で割れた鏡台の代わりに姿見を買ってきたり。家の玄関の鍵が壊れていたのを修理したり、皿洗いの手伝いをしたり。。。小さなことばかり。それでも「ありがと、ありがと」と感謝してくれるオフクロ。一緒に住んでいた10代の頃は迷惑ばかりかけていた。少しは役に立ったことを願いたい。もっと頻繁に帰って来て、小さなことを多く助けてあげたい。
  
おそらく熊本では過去に例を見ないような大地震。家族にも被害が及んでいて悲しいが、両親、姉たち、義兄たちを含めて助け合いながら復興に向けて進んでいきたい。家族の絆、みたいなものが確実に強くなった気がする。遊びに来た姪っ子たちがSnapChatを使ってヘン顔の写真やビデオを撮ったり、親父と姪の顔をスワップしたりしてみんなで爆笑。アメリカで心配ばかりしていた自分、避難生活で疲れきっている姉たち、壊れそうな家で不安な夜を過ごす両親。みんなで爆笑。腹の底から笑ったのは久しぶり。けが人も無く、家族全員で笑えると言う普通の事実が嬉しい限り。次に熊本を訪れるのはいつだろうか。また今回ジョギングしたルートを走ってみたい。建物も復興し、人々にも笑顔が戻っているのを確認するのが楽しみだ。