体罰が自分の人生に与えた悪影響について

最近話題になっている学校での体罰について、自分の子供の頃を思い出してみた。
熊本の、しかも自分が育った田舎町では、中学、高校と先生や指導者からの体罰はもちろん、先輩からの体罰も日常茶飯事であった。少なくとも自分に対しては。
ただし覚えているかぎりでは、物心ついた後親やじいさんに殴られたことは無い。小学校で先生に殴られた事も記憶に無い。若い女性の先生のスカートをめくって、水の入ったバケツを持たされ廊下に立たされるような事は良くあったが。てへっ。
  
中学生の頃からおっさん顔だった自分は、おそらく入学時から先生や先輩に目を付けられていたようだ。これは高校も同じ。入学と同時に怖ーい先輩達からひっきりなしに呼び出され、いろんな事で脅された。まあ、一番多かったのはスポーツ部の勧誘的なものだったが。そしていつの頃からか、友達と何人かで悪さや校則違反をすると、数学の教師Tなどは必ずと言っていいほど自分の事を殴った。みせしめ、と言う事だろうか、それとも自分は殴られ強そうな顔をしていたのだろうか?
トイレに上履きのまま入ったとか、制服が規定違反だとか、学級委員なのに自習時間がうるさかったとか、理由は何でもいいらしい。とりあえず「おい、T、お前ちょっと来い!」と皆の前に呼ばれビンタ。空手有段者のTのビンタはいつも痛かった。ゴーンと来るんだよなぁ、彼のは。
理科の先生だか物理だか忘れたが、彼のビンタは柔らかくパチーンと大きくいい音がするが痛くない。国語の女先生はチビだったのでいつも「ちょっとかがんで。」と言いつつげんこつをくれていた。平均でも複数の先生達から週に1回くらいは必ず体罰を受けていたような気がする。バレーボール部の先輩からの体罰は。。。あれはいじめと、いうか単なる拷問だったかな。まあ、猿みたいな先輩だったので屁とも思ってなかったが。
  
一番ひどかったのは体育の教師、通称『荒井注』。いつも「なんだ、ばかやろう。」の顔をしていた。

とある校内陸上競技会の日に短距離走に出る予定だった自分とM君、ゼッケンだか何かを忘れてしまい、スタート地点の先生に失格を言い渡された。それでも恥さらしのためにみんなの後をゆっくり走ってゴールしろ、と指示された。全校生徒の大笑いの中ゴールした自分とMを、スタート前の失格も知らずに鬼の形相で待っていた荒井注。ふだんからチャラチャラと悪さばっかりしてる悪ガキが神聖な競技会を汚した、とでも思ったのだろう。ゴールした私のところに駆け寄ると真っ赤な顔で怒鳴り始めた。私が何かを言おうとすると「言い訳するな〜!」の一点張り。そして私の足を踏みつけ、逃げられなくした状態からマイクタイソンばりの往復ビンタが始まった。。。 スタート地点で失格を言い渡した先生がゴールまで必死になって走って来て止めに入るまで、荒井注は往復ビンタを繰り返した。数えていなかったが20連発くらいはくらったようだ。友達の後日談では、自分も殴られながら油に火を注ぎそうな反抗的な顔を突き出し、荒井注を睨みつけていたそうだ。いや、記憶にありませんが(笑)。
他の先生達は謝ってくれたが、荒井注だけは意地でも謝らなかった。中学卒業の数週間前になって一言「すまんかった。。。」と言ったが、「別によかです。」と返した私も素直じゃないねえ。
  
で、問題はこれだけ体罰などを日常的に受けて、それが自分や友達の精神的発達や性格形成上どのような影響を与えたか、と言う事。まず、自殺や登校拒否なんて考えもしなかった。荒井注に殴られた翌日も休んだ覚えはないし、ましてや死のうなんて考えた事も無い。ただある意味では先生達も「こいつは殴っても大丈夫だ。」「こいつを殴ったらヘコンでしまうだろうな。」みたいなものを肌で感じて、自分を含めある一部の生徒達だけを見せしめに使っていたのかな?
子供のころに暴力をもって教育されたので、自分の子供にも暴力をふるうと言う事も無いし、ここ数十年けんかした事も無い。結論的には、子供の頃の体罰の悪影響は無かったように思えるし、ある意味では「打たれ強く」なったのかもしれない。あれ、これではまるで体罰肯定派の意見になってしまう。いかん、やっぱり体罰はダメです、との結論にしたかったのだが。。。
  
でも、自分の子供も含めて、今の子供達のほとんどは大事に優しく育てられている。信頼していた大人に突然殴られると言うのはそれこそ死を決意するくらいのショックだろう。そう言う子達は先生も親も見抜いてくれないと悲しい結果になる。殴る側も昔の先生みたいに殴り慣れていないのだから、おそらく感情むき出しで殴るのだろうか。親も同じだが、子供を怒る時は冷静に怒らなければならんと信じる。感情の爆発をそのまま子供にぶつけてはいかんのだ。むずかしいけど。自分の経験からも言えるが、大人が罰として、見せしめとして殴るときは不思議と落ち着いていたし、後腐れもなかった。次の日には忘れていたし。荒井注事件を数十年後の今もはっきり覚えているのは、殴られた回数よりも、怒りまくっていたその時の彼の顔が忘れられないからだろう。「俺は悪くねぇー!、ちゃんと話を聞けよ!」と心の中で叫んでた事も覚えてる。
  
結論は、(全然まとまってないが)現代の子供達に体罰はやめときましょうってことですな。ちゃんちゃん。ああ、長かった。。。