日系人と日本人のギャップについて感じた事

FBの投稿をそのままコピペ。
  

今日はサンノゼ日本町にあるJapanese American Museum of San Jose (JAMsj)で行われた日系人の歴史を勉強する会に参加してきました。JAMsjの創設者であるJimi Yamauchiさんのお話をお聞きしたり、展示物やサンノゼJapan Townの歴史の説明して頂いたりして勉強になりました。

実は私の伯母は第2次世界大戦のすぐ後にカリフォルニア出身の日系人と結婚し、現在もカリフォルニアに住んでいます。私が子供のころ何度か一時帰国した伯母には会ったことがありましたが、叔父に会うのは20年以上前に初めてシリコンバレー出張で訪れた時が初めてでした。「アメリカ人の旦那さん」と聞いて勝手に白人だと思い込んでいたので、背の小さな日系人の叔父がBARTの駅に迎えに来て「YouがXXXXか?」と話しかけてきた時は思わず「あんた誰!?」とひっくり返りそうになりました。

英語も、アメリカの事情も何も分からないままアメリカに嫁いできた伯母の苦労話は何度も聞きました。しかし戦争中に強制収容所に収容された経験もある叔父は昔の苦労話をするのは好まなかったようです。今日Jimiさんが話してくれたように、かなりの人種差別もあったようですが、叔父は庭師として働き3人の子供達(私のいとこ達)を立派に育て上げました。私が遊びに行くと、子供、孫達に囲まれて幸せそうビールを飲んでいた姿が印象的です。今考えればもう少し色々な話を聞いていれば良かったと少し後悔しています。

伯母の知り合いの日系人達と食事やカラオケに連れて行ってもらったこともありました。日本で猪俣公章に演歌のトレーニングを受けたことのある白人が、しきりに「日本仕込みの演歌を歌ってくれ」と言って来てしかたなく「さざんかの宿」など歌ってその場を盛り上げた記憶があります。日系人の方達も喜んでいたような。

しかし、その時から何となく感じていたのは、日本で生まれ育った自分と、いとこ達も含めたアメリカの日系人達との微妙な距離感と言うか、ギャップ。いとこ達は親戚なので顔も似ているのですが、彼らの中身や振る舞いは全くのアメリカ人。何か接点があるようで、全く無いようで、他の人種の人との付き合いより気を使うような変な感じが心のどこかにあった気がします。相手の日系人もあまり進んで日本生まれの日本人と仲良くなろうと言うことが感じ取れなくて、それが距離感になっていたと思います。まあ違う国、違う文化で育ったのだからしょうがないか、と簡単に割り切っていたのですが、なんともすっきりしない思いが募っていました。

ベトナムや韓国から移民してきた友人達からも似たような話を聞きました。「こっちで生まれ育った親戚の子供達は、英語が下手な自分たちをバカにしてるんだ。俺たちの苦労も知らずに。。。」などと悔しそうに言う人も。彼らもギャップを感じているんだな、と少し安心した憶えがあります。

今日サンノゼ日系人の方達のお話を聞いて、彼らにも「俺たちの苦労も知らずに。。。」と言う思いは多少なりともあるのだと感じました。日系人だからと言う理由だけで強制収容されたり、大学を卒業しても職に就けなかったり、家を買えなかったり。しかしそんな逆境にも負けずに、日系人達は真面目に働き少しずつ日本人に対する差別、偏見を無くして、我々が安心して旅行したり、移住できるようにしてくれました。 平和な日本で育ち、アメリカの日系人の歴史も全く知らない日本生まれ私が、のほほんと出張で訪れてきた時、いとこ達や日系人が感じたギャップは、私が感じたそれよりも大きかったと思います。

日本生まれの日本人と、アメリカ育ちの日系人のギャップを埋める事が自分にとってどんな価値や意味があるのかは良くわかりません。あまり深く物事を考えない性格ですが、明日はマラソンでも走りながら答えを探してみたいと思います。ただアメリカに住む日本人としてそれは大事な事のような気がしてきました。とりあえず今後もこう言った勉強会などに参加していこうかと思っています。

なんともまとまりのない文章ですが、今日はマラソンネタもラーメンの写真も無いので感じた事をダラダラと書いてみました。