Singaporeでペッパークラブとチリクラブ

20年ほど前にアメリカの会社の駐在員としてシンガポールに2年ほど暮らしたことがある。「これからはアジアの時代だ!」などと思ってアメリカからシンガポールに移り、東南アジアを飛び回っていた。仕事としては面白かったのだが、小さな子供を抱えて育児に追われた妻には辛かったようだ。その上駐在中に妊娠、出産。慣れない土地に連れてこられたばかりか、子供まで生んでかなり苦労をかけた。苦労をかけた分感謝せねば。。。
  
今回は大幅リストラの一環での出張。あまり楽しくない仕事だがしょうがない。せっかくの機会なので、昔の一緒に仕事をした人たちに声をかけた。到着した日の夜に、駐在時代の同僚たちと3人で夕食。年が近かったOffice Managerは、シンガポールのことを全く知らなかった自分に色々と教えてくれた恩人。息子さんが来年結婚することを嬉しそうに語ってくれた。香港出身のCWはついこの間孫が生まれたそうだ。「地元の人がオススメの場所に連れて行ってくれ。」と頼んで行ったのがAlexandra Village Food Centre。かなりスパイシーなブラックペッパークラブを食べながら話は尽きなかった。その後別の屋台でサテーと、名物と言われているアボカドのミルクシェイク。20年来の友達に感謝。



  
そして昨夜はリストラを予感して数ヶ月前に転職した、これまた別の会社で元同僚だった人と今の上司3人でゲイラン地区にあるカエルのお粥とシーフードの店で食事。行った店の名前は忘れたが、Eminent Frog Porridge & Seafoodと言う店の隣で、2軒の店はつながっているらしく、隣の店で注文した料理をテーブルまで持ってきてくれた。ここではチリクラブ。見た目は辛そうだが、味付けは少し甘め。カエルの唐揚げや、かなり粘り気のあるお粥にカエルを煮込んだソースをかけて食べる料理も美味しかった。

  
ゲイラン地区と言えば他の事でも有名なのだが(笑)、裏通りに入って違法ギャンブルをやっているのを覗いたり、政府公認の売春宿をからかったりしながら腹ごなし。シンガポールでは夜も気温が下がらないので、食事前より、自分の体が熱を発する食後の方が暑く感じる。すっかり汗をかいたところで、大豆ミルクの美味しい店に到着。冷たくて甘い大豆ミルクを飲み干し、おとなしくホテルに戻った。

熊本地震から1ヶ月 ー 益城町から

誰も知らなかった私の出身地。熊本県上益城郡益城町。「ましき」と呼ぶのだが、熊本出身の人でも良く分かっておらず、「どこにあるの?」と聞かれて説明するときは「熊本空港の近くです。」と言っていた。それがこの1ヶ月で日本中で知らない人はいなくなったのでは。世界的にもCNNのニュースなどで取り上げられていた。震度7地震に2回も襲われた町としてすっかり有名になってしまった。両親は今でも益城町に住んでいて、上の姉は隣町に、もう一人の姉は市内のマンションに住んでいる。地震直後にでも故郷に帰りたかったのだが、両親、姉たちとも避難生活、あるいは車中泊が続いていた。ライフラインも止まり、姉に「今帰ってきても一緒に避難生活するだけだよ。」と言われある程度落ち着くまで待っていた。そして3週間経って、ゴールデンウィーク明けに熊本入り。家の片付け、修理を手伝うつもりで来た。
  
近所のビニールハウスでの避難生活に耐え切れず、両親はまだ強い余震が連続している頃に家に戻っていた。出口に近い物置で寝たりしていたらしい。現在では水、電気、下水も復活し寝室で寝ていると聞いたので家の被害は最小限かと思っていた。しかし、家に入ってすぐ柱が同じ方向に傾いているのが目で見てわかる。壁のあちこちにもヒビが入り、屋根瓦は大量に剥がれている。



  
その上1ヶ月経った今でも震度3程度の余震が毎日発生している。気象庁は今後1ヶ月程度は震度6の余震に注意と呼びかけている。正直、この状態の家に寝泊りするのは怖い。もう一度大きな揺れが来たら潰れてしまうのでは、との不安がよぎる。80歳を超えた両親がとっさに素早く逃げ切れるのだろうか、などと考えてしまう。実際にお隣の叔父夫婦は未だに余震を恐れてビニールハウスに寝泊りしている。
  
そんな不安を親父に伝えても、「もう死ぬときゃぁ、死ぬんだから。俺たちは先も長くないし。。。」というばかり。避難生活で腰を痛めたのがかなり辛かったらしく、家を出ようとはしない。ならばさっさと家を解体して立て直しを始めたいのだが、益城町の被害状況の調査は当然ながら被害が大きかった地域から順番。実家の近所は12地区中9番目。未だに検査にも来ていない。検査で、全壊、半壊、大規模半壊、居住に安全などの判断をしてもらい、それを持って「り災証明」というものがもらえる。このり災証明無しでは支援金も受けられないし、何も行動を起こせないのだ。姉たちの家も建屋はしっかりしているものも、地滑りが起きているためインフラが復旧せず、未だに体育館で寝泊り。仮設住宅も無く、避難生活を抜け出せるめどが立っていない。
  
対応の遅い行政に少し腹立たしい思いもしたが、昨日益城町内をジョギングして愕然とした。テレビでは何度も見ていたが、実際に子どもの頃何度も通った場所の変わり果てた姿には胸が締め付けられる思い。瓦礫の山にも未だ手を付けられていないようで、住む場所がある両親はある意味幸せなのかもしれないと思う。





  
一体、この町が、そして家族たちが普通の生活に戻れるのはいつなんだろうか。仮に今すぐ家の解体、立て直しを始めても新しい家が完成するのは早くて年末。そして立て直し期間中は梅雨、真夏、台風の季節、そして寒い冬。どこで過ごすのだろうか。仮設住宅の数はおそらく圧倒的に不足するだろうし、近所の人と密に繋がっている両親がこの地を一時的にでも離れるのはかなりの精神的な負担だ。もちろん、金銭的な心配もある。土地があっても家を建て直すと1,500万円程度は必要だろう。支援金が2−300万円、保険から少し出たとしても大きな金額。「自分たちはもう長く生きないから、小さな家でいい。」と言う親父。ダメージが無かった車庫兼小屋を住まいにすることも考えているようだ。しきりに「お前が帰ってくるなら大きな家建ててもいいが。。。」と聞く親父。それに対して答えを濁してしまう自分。。。「帰ってくるつもりはない。」と以前伝えたはずだが、地震で弱気になっているのだろう。
  
5日間ほど帰ってきて、結局大したことは出来なかった。家は傾いたままだし、ひび割れもそのまま。義兄と雨漏りを防ぐために割れている瓦を何枚か交換したり、閉まらなくなったサッシの修理、夜中にトイレに起きてよろめき転んでしまったオフクロのために手すりを付けたり、地震で割れた鏡台の代わりに姿見を買ってきたり。家の玄関の鍵が壊れていたのを修理したり、皿洗いの手伝いをしたり。。。小さなことばかり。それでも「ありがと、ありがと」と感謝してくれるオフクロ。一緒に住んでいた10代の頃は迷惑ばかりかけていた。少しは役に立ったことを願いたい。もっと頻繁に帰って来て、小さなことを多く助けてあげたい。
  
おそらく熊本では過去に例を見ないような大地震。家族にも被害が及んでいて悲しいが、両親、姉たち、義兄たちを含めて助け合いながら復興に向けて進んでいきたい。家族の絆、みたいなものが確実に強くなった気がする。遊びに来た姪っ子たちがSnapChatを使ってヘン顔の写真やビデオを撮ったり、親父と姪の顔をスワップしたりしてみんなで爆笑。アメリカで心配ばかりしていた自分、避難生活で疲れきっている姉たち、壊れそうな家で不安な夜を過ごす両親。みんなで爆笑。腹の底から笑ったのは久しぶり。けが人も無く、家族全員で笑えると言う普通の事実が嬉しい限り。次に熊本を訪れるのはいつだろうか。また今回ジョギングしたルートを走ってみたい。建物も復興し、人々にも笑顔が戻っているのを確認するのが楽しみだ。

Horseshoe Lake Trail Run

Coastal Trail Run主催のトレランレース。いつもはレース当日に行っても登録できる気軽さが良いのだが、今日は売り切れ状態。サンタクルーズマウンテンのSkyline Ridge Open Preserveの駐車場からスタート。
  
50kmのレースに登録していたが、どうも最近精神的に参っていてまともに走れる気がしなかったのでマラソンの距離に変更した。この日は日本からゴールデンウィークを利用してベイエリアに来ていたAさん、来週50kmレースに出るSさんも出場。5月のレースで暑くなるかと心配していたら、山の上は雲の中で寒いくらい。途中からは雨も本格的に降り出し、気温も上がらなかった気がした。


  
コースはSkyline blvd沿いにトレイルを6.5マイル走り折り返し。これがハーフマラソンコース。フルはこれを2回。50kmはこれに5マイルの往復を付け足す。シングルトラックがほとんどで、スタート直後はかなり渋滞気味だった。激坂や長い坂はないのだが、ローラーが続いて高低差としては4,000ftを超えていたようだ。最初から気合が入っていなかったのでゆっくり走ったが、最後まであまり失速せずに走れた。ゴールの時計では5:08くらいだったが正式記録は確認していない。と言うか今日は記録はどうでも良い。久々にAさん達とも会えたし、何もかも忘れて純粋に楽しめた。悲しいこと、嫌なこと、腹が立つことが多い今日この頃だが、こうやって森の中を駆け抜け、心を無にする時間が取れたことはありがたい。かなり気分が晴れた気がする。

Life is rough so you gotta be tough

Jonny Cashがそう言ったとか言わなかったとか。会社で大規模なリストラが起きている。ある程度予想はしていたものの、実際に友達や同僚が「今日が最後になりました。」的な挨拶をしに来たり、メッセージをもらうと心が痛む。正直、「なんで仕事がで出来ないあいつが残って、真面目に働いていたあの人がクビになるんだ。」と思う。しかし自分の力ではどうしようもない場合がほとんど。落ち込んでいるヒマも無く、淡々と仕事を進めていくのみ。斜陽産業で働く者の定めだなぁ。 

ずーっと松の木だと思っていたら。。。

裏庭にある大きな木。「この木、何の木、気になる気になる木〜」いや、ここに引っ越してきて以来これは松の木だと信じて疑っていなかった。近所の人たちが「もしこの木が倒れてきたら心配。」だとか、「葉っぱがうちの庭に落ちてきて大変なのよね〜、文句言ってる訳じゃないけど。。。」(言ってるし)とか、「夏のある時間帯にうちの太陽電池が木の陰に入って効率が落ちる。」などとやんわり苦情を言われ、まだ元気そうなのだが斬り倒そうかと思いCity of Campbellに問い合わせした。木の写真を添付して送ったら、「その木は市の中で保護されているCedar treeなので、木が枯れているとか根が家の土台に影響しているなどの理由がない限り切り倒すことは出来ません。」と返事が来た。ええ〜、松の木じゃないの!? Cedar treeとは「ヒマラヤスギ」の事。葉っぱはとんがっていてまるで松の葉なのだが、正確にはマツ科のスギの木という事。どっちなんだ〜。まあ、しょうがない。とりあえず伸びすぎた部分をトリムして手入れしよう。

毎年恒例、Ovid Winery Open House

女房と二人でナパへお出かけ。目的は毎年恒例になってきたOvid Wineryのオープンハウス。家を出るのが遅れたりして、到着したのはお昼頃。何はともあれフラッグシップのワイン飲もうと張り切って乗り込んだが、屋内にはテイスティング用のグラスが置いてない。「変だなぁ〜」と思いいつつ一旦外に出ると、ワインメーカーのお兄さんが何と白ワインのボトルを持って微笑んでいた。「ええ、白ワイン!?」と言ったら「そう、今年から実験で作ってみたんだ。」との事。実験番号 W1.4。まずはこれをお試し。

  
もちろん美味しいのだが、ここに来た目的は赤ワイン。とりあえずOvid 2012年を外に腰かけて飲む。うーん、最高。。。

  
風が強い1日だったが、気持ちが良かった。ランチはチキンのから揚げかBeef brisketとサラダ、コーンブレッドなど。実験番号 R8.3も含めて赤ワインを3種類飲み比べ。白ワインは(割と)お手頃価格だったので、W1.4, R8.3, Ovid 2012を1本づつ購入。州外やアメリカ以外からもかなり熱狂的なファンが来ているようで、「次のリリースが出たらすぐに送って欲しい。」などと言う会話をよく耳にした。これじゃあすぐ売り切れてしまう訳だ。
  
すでに飲みすぎの感もあったが、この後Robert Mondaviに向かった。Reserve wineのテイスティングルームで白2種類、赤2種類お試し。女房に「もう飲まない。」と裏切られたため一人で4杯。全部飲まなくても良いのだが、残すのは勿体ない貧乏人気質。。。

  
今日のダメージはこれだけ。もう今後1年はワインに無駄使いはしません!と心の中でつぶやいてみたが、どうだろう。

  
今日は息子がジャズバンドの遠征で不在のため、ディナーは帰り道にSan Brunoの『銀亭』で軽く寿司をつまんだ。よせばいいのにまた日本酒を飲んでしまった。ここの刺身や寿司は美味しい。自分の中ではベイエリア1番だと宣言した。ああ、幸せな1日。これから1週間は摂生しよう。

MacBook Proのストレージを増やしてみた

256GBのSSDでずーっと我慢してきたのだが、やはりちょっと不便なのでストレージスペースを増やしてみた。自分の使っているMid 2012 MacBook Pro 15" Retinaに合う、TarDisk 128GBをアマゾンでオーダー。$199と高めだが、既存のSSDと"Pearing"して見かけ上一つのストレージにしてくれるらしい。
  

MacBook Pro用をオーダーしたのだが、裏にはMacBook Air 13"と書いてある。最初の不安がよぎった。。。
  

SDカードのスロットに差し込むのだが、恒久的なメモリーになるので取り外せなくなる。SDカードを使いたい場合のためにUSBのSDカードリーダーも購入。まあ、SD cardはほとんど使わないのでこれで良し。しかし、カードと一緒に付いてきたギターのピック(みたいなもの)。何かと思いきや取り外しの時に使うらしい。金属製のもので取り外ししないで、と書いてあった。一度付けたら外さないで、って言ってるのに何故取り外し用のものが。。。2度目の不安がよぎる。
  
一応マニュアルを読んで従ったが、ステップ4は(Optional)とあったのでスキップした。でも、(Optional, but HIGHLY recommended.)と書いてあった事に後で気がつく。。。結果から言うと、これは必ずやった方が良いと思う。特に古いコンピューターは。

  
最初に全てのインスタレーションが終わったが、SSDの容量は変わらず256GB。。。あれれ。で、TarDiskのサポートページを見るとデカデカと修理の仕方が出ていた。親切に細かい手順のビデオもある。こりゃぁ、かなりの確率で失敗してるんだな(笑。
  
fsck -fy
  
これを何度となく打ち込んで、やっと修理完了。メデタくちゃんと容量が増えた。Sharksのゲームの第2ピリオドから第3ピリオドまでかかってしまった。Sharks勝ったので許す。